大げさなはなし

最近、巷で流行っているグーグル叩き。きっかけとなったストリートビューインターフェイスが刷新した。


切り替えのアイコンがグーグルマップの拡大縮小スライダバーに付き、標準機能化をアピール。一発でストリートビューが起動する。またブラウザ内での全画面表示となり、グーグルマップとの上下2分割も可能になった。
操作感も改善し、グーグルマップとストリートビューの一体感、シームレス化が一層強まった。描画速度も速くなった?Flashを使っているようだけど。前はどうだったけ…


話題になっている社会的な事はさて置き、僕が思うのは身体感覚の変化がより進むのではないか、ということ。


空から描かれた正射影の地図。大まかな地形のカタチを認識し、距離感をも掴んできた。身体で得られた感覚を、地図で確認して再び身体へと戻す。繰り返すことによって、距離や高さや方角、あるいは地形を感覚として身体に叩き込まれる。

知らない土地へ行くとき、地図を眺めるだけも何となく地理的な感覚が沸き起こる。積年の学習によって得られた感覚。獲得したのはそれほど昔のことではない。近代測量技術と印刷複製、教育制度による科学と文明の成果だろう。


対してストリートビューはダイレクトに訴える。従来の地図より身体感覚に近く、インターフェイス刷新でより直感的になった。普通の地図を見るのと、脳の働きが違うように思える。地図より楽な感じ。

反復学習によって得られたものは、使わなければ忘却するのは当たり前。多くのカーナビ利用者なら実感しているのではないか。死んだ言語は幾つもある。


頭と身体が地図を欲しがらなくなる。


地図を身体と土地の境界面として考えると、殆ど記号化されない大縮尺の地図は不要となりえる。座標列のみで保持と処理をされ、レンダリングは見慣れた「地図」*1として描くのではなく、別のカタチ*2で表現される事になる…


うーん大げさですね。


斯くして従来の大縮尺地図は消滅し、従来の地図は中小縮尺で生き残る。


空想もほどほどに。さて仕事しよ

*1:グーグルマップ等も含む

*2:ストリートビューだけではないだろう