タウンネームという愛称

近年までJR総武線津田沼駅南口には広く畑が残されていたが、現在は区画整理事業が進行中である。
以前に「農業公園」を造成する噂を聞いたが、宅地と商業施設が中心になったようだ。分譲住宅は津田沼駅徒歩圏とあって大変な人気らしい。実際、各方面から長らく注目されていた土地だった。


JR津田沼駅南口地区の土地区画整理事業について(習志野市ホームページ)


その新たに誕生する「街」の愛称を [twitter:@ecua] さんにを教えてもらった。なんと「奏の杜」になるそうで。しかも住居表示も検討中らしい。馴染みがある、思い出深い津田沼駅周辺。あの広大な畑が「かなでのもり」に……


人・まち・緑のシンフォニー 奏の杜


やや衝撃を受けたので絵を作ってしまいました。といってもデータ入手含めて10〜20分で出来るものですが。

明治初期の地図、国土地理院所蔵の「第一軍管区地方2万分1迅速測図原図(通称:迅速図、迅速測図)*1」に用途計画図*2と鉄道*3を載せただけ。


池がある。大正時代に水抜きした「庄司ヶ池」跡に習志野第一中学校が移転してきたが、学内は常にジメジメしていたと友人から聞いた記憶が。なお同校の管弦楽活動はとても著名で、コンクールでは常に優勝候補。「奏」の一由来かも?と @ecua さんが指摘していた。


消えた池 〜庄司ヶ池〜(新ならしの散策 - 習志野市ホームページ)
庄司ヶ池排水桶管(千葉県の産業・交通遺跡 - 千葉県立現代産業科学館)


「谷津村」と注記が見える。千葉では谷戸を「やつ」と呼ぶこと多いが、ここではそのまま村名となった。台地を刻む浸食谷、谷底の水田と集落ついては Wikipedia に詳しい。本村といえるこの地域は旧家が多く残り、様々な事情を反映してか区画整理範囲の界線は複雑な形をしている。

京成津田沼駅周辺(昭和30年代)」 は久々田の斜め写真。いかにもな海岸集落の様相。埋立して海が遠くなった今でも町の雰囲気はさほど変わらず、千葉街道旧道に沿って寒川まで続く。


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